皆さん、こんにちは。じゅんコンパスです。
誠に遅ればせながら、結論から申し上げますと、私は掛布雅之さんの野球殿堂入りを心から祝福致します。
何故私は掛布さんを強く推すかと言いますと、日頃の行ないがすべてである理論に賭けている次第であります。
ここでまたもや、掛布選手のキャリアを振り返ってみたいと思います。
何と言っても、昭和54年シーズンの48本塁打で、ものの見事に本塁打王に輝いたことが強く印象に残っております。しかも、打率.327で堂々たる打率部門第2位の成績を残しました。
その後そしてシーズンオフの契約更改にて、掛布雅之さん自ら減俸を申し出たことが、日頃の行ないがすべてである理論の象徴であると考えます。
あとは何と言っても、昭和60年シーズンの3割40本108打点で、阪神タイガース日本一に大きく貢献したことが挙げられます。
掛布さんは昭和54年に48本、昭和57年に35本、昭和59年に37本で本塁打王のタイトルを3度獲得しました。
また、昭和57年に95打点で打点王に輝きました。昭和57年のシーズンもまた、キャリアハイの一つに挙げられます。
通算安打数は1656安打で、2000本安打には届きませんでしたが、実績以上の評価があります。
それは何故かと言いますと、チャンスに強い打撃の持ち主であるからです。
そして、ここでもまた結論から申し上げますと、通算打点が1000を超えていることに勝負強さが表われています。
これまでの阪神タイガースの選手の中で、最も印象に残る選手の一人であります。
引退後は、野球解説者として活躍しました。その中で、「あの~、非常にですね~」という言い回しや、ファーストのことをフォアストと呼ぶことが強く印象に残っています。
阪神球団は平成27年10月に、掛布さんを二軍監督として正式に契約しました。そして、現役時代と同じ背番号31が与えられました。現役引退以来27年振りに背番号31を身にまといました。
二軍監督時代は、現役時代からの人気ぶりを背景に、球団主催の二軍戦の公式戦で二軍なのにもかかわらず、満員札止めや1万人台の観客動員の実績を残しました。
若干、現役時代の実績には不満がありますが、アピールポイントとしては、独特のバットを回転させる打撃フォームが挙げられます。とても多くの一般人が、掛布さんの打撃フォームのものまねをすることに人気の高さが窺われます。
皆さんも、時には掛布雅之さんに想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
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