ミスターこと長嶋茂雄さんに対して、心からご冥福をお祈り致します

スポーツ

皆さん、こんにちは。じゅんコンパスです。

突然の長嶋茂雄さんの訃報、驚きましたね。この投稿ではキャリアを振りかえつつ、これからの長嶋茂雄さんが多くの人の心の中にどう残っていくか、検証してみたいと思います。

まずは、長嶋茂雄さんのキャリアから振り返ってみたいと思います。

長嶋茂雄さんは千葉県の佐倉市臼井出身。

千葉県立佐倉第一高等学校(現・千葉県佐倉高等学校)に進学しました。高校時代はほぼ無名でしたが、高校3年の夏に南関東大会に出場を果たしました。

立教大学時代は六大学リーグの通算新記録となる8本塁打を放ち、打撃に加えて守備や俊足も野球関係者から高い評価を受けました。

この実績を引っ提げて1957年、鳴り物入りで読売巨人軍に入団しました。1年目の活躍はすさましいもので、打率.305、本塁打29本、打点92点で見事に2冠に輝きました。

この年、本塁打を打った際に1塁ベースを踏み忘れるといったハプニングがあり、これがなければ1年目にしてトリプルスリーを達成するところでした。まさに、長嶋さんらしいお茶目なエピソードですね!

1971年には生涯で最後のタイトルの首位打者を獲得しました。これで、6度目の首位打者で、セリーグ記録です。

獲得したタイトルは、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度、最多安打10度(当時連盟表彰なし)と、まさに記憶のみならず記録でもファンの心に焼き付いていることでしょう。

また、1年目から現役最後の17年目まで、三塁手のベストナインに選出されました。

1974年の10月14日、長嶋さんの引退セレモニーの日は、快晴でした。長嶋さんはきっと晴れ男なのでしょう。「我が巨人軍は永久に不滅です。」というお言葉は、これからもずっと語り継がれることでしょう。

ここで、長嶋さんがこれからの多くの人々の心にどう残っていくか、検証してみたいと思います。

まずは、長嶋さんの独特な口調、例えば「いわゆるひとつの」や、晩年の「勝つ、勝つ、勝つ」などの長嶋語は、これからも強い印象となって記憶に残る事でしょう。

また、会話の中に随所に英語を用いる話し方も、きっと記憶に残っていくことでしょう。

最後は、長嶋さん独特の天性の明るさです。

長嶋さんの守備は華麗な身のこなしで、ファンを魅了しました。

三振しても絵になるように、空振りしたときに帽子が飛ぶように、あえて大き目のヘルメットをかぶったというエピソードは有名です。

長嶋さんのプレースタイルそのものが、多くの人々にとってこれからも太陽のように明るく記憶に残っていくことでしょう。

これからも、長嶋茂雄さんは野球ファンのみならず、そのスター性から他の多くの人々にとって記憶に残っていくことでしょう。

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